「やりたいこと」は面白いか。
「やりたいこと」について考えるとき、その「やりたいこと」は想定内のことだろうから、実際やったとしても、それほど面白くないだろうと思う。
「やりたいことはありませんか?」と聞かれたときに思い浮かべる「やりたいこと」なんて、その程度にしかなりえない。だとすれば、何が面白いか?たぶん、想定外のことだろう。想定できる範疇の外側。それが面白いかもしれない。
では、面白いであろう想定外のことは想定できるか?想定できるはずもない。というわけで、面白いことは想定外のことなのだから、面白いことを想定するのはやめようと思う。
想定外のことは、“思いがけず”やってくる。それがいつ・どんなときか、想定することはできない。しかし、時間を過ごすなかで、多少は面白いことに出会えるような気がする。そういう予感ができるだけで、十分見込みはあるのであり、いつ・どこで面白いことに出会えるかを想定する必要は無いだろう。
またもや、考える必要のないことに気づいてしまった。この社会には、考える必要のないことを考えさせる仕組みがあるようだ。